「カルトQまつり」を自分なりに総括してみる。(長文)

自分の企画への反省も踏まえつつ・・・。

企画として16テーマのカルトクイズをやるという大会コンセプトは、よかったのではないかと思う。ちょっとテーマは多すぎる気もしたし、
司会進行にも難はあったかも知れないが、BGMが往年の雰囲気を再現していたし、連打可能なボタンを用意したのも評価できるポイントではある。

今回、自分は「将棋」と「東京六大学野球」の2つのジャンルを担当させていただいた。解答者で出るよりも出題者で出る方が絶対
楽しいと思っていたが、その通りだった。出題していてこんなに楽しかった企画も無かったと思う。

かつて、フジテレビの実際の番組を見ていた数少ないであろう経験者だから、最初にこの話があったときには、担当者として出来
る限り、あの番組の「Taste」を感じられるようにしたいと思った。

やろうと思えば、自分の知っているカルト知識を掘り下げて、「出題者はこんなことまで知っているんだぞ」とか「こんなことを知って
いるか?」と解答者や観客に「自己主張」することも、可能なことは確かだ。

しかし、考えてみるにかつての番組はそうではなかった。いかにありふれたテーマの中に奥深い知識があるか、それを解答者が
どこまで知っているかを引き出してあげるというのが、そのコンセプトではなかったかと理解している。

だから、解答者にどういう人が来るのか、ある程度は想像がつくものの、基本的にはよく分からないという状況下では、観客の人
にも分かるレベルの問題を準備しなければならないと思った。

お手つき・誤答は出来る限りで発生しないよう、問題文の構成や難易度については、出題者としてかなり配慮したつもりだ。この
点については、比較的うまく行ったのではないかと思う。

その一方で、あくまでも「解答者が主人公である」という大事な部分は欠落していたのかもしれない。将棋に関して言えば、観客に
も分かってもらうように、出題者が正誤判定の基準を説明したりしたのだが、見方によっては出題者がでしゃばりすぎで、それによって
解答者が霞んでしまったのではなかろうか。反省すべき点があるとすれば、そこだと考えている。

他の出題者が担当されたジャンルに対する評価は難しい。出題者が期待する問題の「水準」に解答者が戸惑い、ほとんど正解が
出なかったテーマもあった。出題者としては、これぐらい正解して欲しいという思いもあろう。しかし、敢えて私から言わせてもらうと、
そこは出題者が解答者の方を向いて歩み寄らなければならないのだと思う。

出題者が好きなテーマを出題できるのは、解答者が5人以上集まったからなのである。この大会に限って言えば、出題者はこの
集まってくれた解答者にある意味で感謝し、正解をしてもらうよう努力すべきなのである。

出題者は解答者を剛速球で空振り三振に取る「主戦投手」ではない。答えやすい球も投げて気持ちよく打ち返してもらう「打撃
投手」に徹すべきなのではなかろうか。

早速に第2回も行われることが決定したようである。今回の反省も踏まえ、次回に備えたいと思う。今度は解答者として参加でき
そうなテーマが出てくることを期待しつつ・・・。